自覚しない想い

短剣の手入れをしていたリオウは、ためらいがちに扉を叩く音に目を上げた。
このところ、休日というとリオウの部屋を訪ねてくる人がいる。
それはリオウにとって、願ってもないことではあったが、幾分危惧すべきことでもあった。
彼は短剣を隠しにしまいこむと、いつもの穏やかな表情を取り繕い、扉を開けた。
そこには、思ったとおり、遠慮がちな王女がいた。
「姫でしたか、どうぞお入りください」
彼がにこやかにそう言うと、王女はほっとした表情でリオウに問いかけてきた。
「お休みなのに、ごめんなさい。リオウは今日は何か予定があるかしら?」
「いいえ、特に何も」
「そう、それでは私と一緒に出かけてくれる?」
王女はためらいながらそう尋ねた。
彼女のそういう態度に、いつもリオウは驚かされる。
彼の部屋までわざわざやってくるような女は、出かけること、あるいは一緒に過ごすことを、当然のように要求した。
そして、その誘いに乗ってやれば、彼は自分の所有物のような顔をし、断れば、しつこくその理由を問いただすのだ。
いわばそんな女たちの頂点に立つはずの王女は、彼女たちとは違い、非常に控えめだった。
彼を、自分と同等に扱い、押し付けがましいところがない。
それは、王女自身の性格から来るのかもしれないし、彼女を躾けた人の影響かもしれなかった。
「お誘いありがとうございます。どちらへお出かけですか?」
「よかった。ありがとう。では、エシューテまで一緒に来てもらえる?」
「わかりました」
わざわざエシューテまで出かけるなんて物好きな、と思わないでもなかったが、彼の表情は変わらなかった。

王宮から遠ざかるにつれ、王女はくつろいでいくようだった。そんなことに気づいてしまう自分に、リオウは首をかしげた。
王女は馬車の窓から外を眺め、何気なくリオウに話しかけてきた。
「リオウは、とてもお料理が上手なんですってね?」
「上手というわけでは。ただ、好きなだけですよ。それより、そんなことをどこでお聞きになったのです?」
リオウに目を向けた王女は少し顔を赤くして答えた。
「あの、エミリオ、私の侍従に」
そして、ちょっとすまなそうに続けた。
「ごめんなさい、詮索するようなまねをして」
「いいえ、姫に興味を持っていただけるなんて光栄です」
これだけ長く宮廷にいるのだから、自分の趣味の一つくらい、公になってもそれは別にかまわなかった。
ただ、そのことに王女が興味を示したことに、微かな驚きを感じた。
「リオウはあまり、自分のことを話してくれないでしょ?」
王女は、無邪気に言った。
「だから、どんなことが好きなのかしらと思って」
「僕は新参者ですからね」
そこにこめられた皮肉に王女は気づいたようだった。
「もう、三年もいるわ。私たちは何度もあなたの演奏を聞いた」
王女はむきになって続けた。
「それにジークが選んだ人だもの」
その、『ジークが選んだ』という言葉は、一瞬、リオウの胸に嫉妬を呼び起こした。
自分が持ち合わせていないと思っていた感情を、この女は呼び起こす。
その一瞬の嫉妬を打ち消しながら、リオウは苦々しく思った。
貴女は僕にとって、「対象者」でしかないのですよ。そう言ったら、彼女はどんな顔をするだろう。
その暗い思いを瞳の奥に隠して、リオウは王女を見た。
「そんなふうに思っていただけて光栄です」
「あら、違うわ」
と王女は困ったように言った。
「リオウはリオウですもの。…ごめんなさい、私、うまく話せていないわね」
王女は考え込むように下を向いたが、やがて顔を上げて、リオウに微笑みかけた。
「どうしてかしら、あなたのそばにいると、懐かしいような、安心できるような、そんな気がするの」
「僕ですか?」
この女は、警戒心がなさ過ぎる。
「そう。前はあなたの演奏を聞くと、遠くの故郷を思い出させるようだと思ったの。それが、今は、懐かしい記憶を思い出しそうになるの」
「姫の故郷はここではありませんか?」
「そうね。私はこの国から出たことはない。これから先もきっとないわ。たぶん……異国に嫁ぐとき以外は」
「よその国へ行きたいと思われているのですか?」
「ええ。そこへ嫁ぐのではなく。小さい頃、親切な特使の方が遠い国の話をしてくださったの。こことは何もかも違う国。誰も私のことを知らない国」
王女は小さく息をついた。
「そんなところに行ってみたい」
「姫は宮廷がお嫌いなのですか?」
そう問いかけてから、リオウは後悔した。僕はこの人に深入りしそうになっている。
王女はそんなリオウには気づかず、いたずらっぽい表情をした。
「私の家族は、カインだけ。私と宮廷を繋いでいるのはカインだけなの」
そのカインは記憶喪失で、王女のことさえ、いまだに思い出せずにいる。不意にまた、自分には不要の感情が湧き出しそうになり、リオウは心を押さえつける。
「エシューテで、何をなさるおつもりですか?」
わざと話題を変えて、王女にそう問いかけた。
「ええと。あのね、ついてきてほしい所があるの」
王女は、また、少し顔を赤らめた。
「たぶん、エシューテで見つかるはずなの」
「そうですか」
それからは、他愛もない話を続けた。

エシューテで、王女が向かったのは、装飾品の店でもなく、港でもなく、書物を扱う店だった。
そこの店主となにやら話をした王女は、やがて嬉しそうに、一つの包みを抱えて店を出た。
王女の買い物の間、ぶらぶらと店内を歩き回っていたリオウは、その店が気に入った。
見慣れない文字、書物の持つ独特の香り、密やかに動き回る人々。それらは、妙にリオウを落ち着かせた。
「お待たせしたわね」
「いいえ。僕も楽しみました」
「そう?気に入ってもらえてよかったわ。この前、視察に来たときに見つけたお店なの」
王女は大事そうに胸に抱えていた包みをリオウに差し出すと、
「お誕生日おめでとう、リオウ」
と言った。
それは、あまりにも突然のことで、リオウは場を取り繕うことを忘れた。
「姫?」
「受け取ってもらえる?本当は何か自分で作りたかったのだけれど、私、あまりそういうことが上手じゃないの」
王女ははにかむように微笑んだ。
「自分でお金を稼ぐことも出来ないの。お金を稼ぐというのがどういうことかもたぶん、わからないの。でも、これをどうしてもあなたにあげたかったの」
それは、一国の王女としては、普通は考え付かないことだった。たぶん、どこの貴族の女たちも。
リオウはようやく自分を取り戻し、ためらいがちに差し出された包みに手を伸ばした。
「僕ごときが頂いてしまってよいのでしょうか」
「リオウにあげたかったの。これはあなたにあげたかったの」
王女は、受け取ってもらえたことが嬉しそうだった。

王女を部屋まで送り届けたリオウは、自室でその包みを解いた。王女は、
「お部屋に戻ってからあけてね」
と言っていたから。
それは、遠い異国の物語だった。
そこでは、すべてのものに魂魄が宿り、ときに人と人外のものが結ばれることもあったと書かれていた。
他愛もない御伽噺だ、と思いながら、その話に惹かれていた。
彼女はなぜ自分にこれを読ませたがったのだろう。なぜ、自分の誕生日など知っていたのだろう。
誕生日など、ただ、一族が自分を拾った日というだけだ。
あの王女は面白い。ただ殺してしまうのは、惜しいかもしれない。
リオウはまだ、自分自身が、王女に対して「対象者」以上の意味を持たせたことに気づかなかった。





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樹様のコメント

今度こそ、リオウがいる話。リオウ、お誕生日おめでとう!